その裏での大人と子供


今回、ドリーの死を機会に大人の冷徹さを垣間見ました。

冷徹という表現は正しくないとは思いますが…。
うまく言葉が見つからなかったので、こう表現させてもらいます。

私は現在18歳。
大人に近いといえばそうですが、まだ子供な面も沢山持ち合わせています。

私は動物が大好きで、彼らに対しての思いは半端なものではないと思っています。



以下は23日の夜の記録です。

父が、
「もう餌を食べられないから、餌はやらなくていい」
と、言いました。

そんな父に向かって、母は、
「食べられないからあげなくていいの?
 じゃあ病人だって食べられないから、
 ご飯つくらなくていいの?」
と、かえしました。

父はドリーの亡骸をいれる段ボール箱をすでに用意していました。
酷く
酷く
冷徹な行動に見えました。


そのあと私は、
「エサあげたの?」
と、母にたずねました。

母は、
「まだあげてない。」
と、答えました。

それならば、と、私は、
「なんか柔らかくしたものあげればいいじゃん。
 まだ食べられるかもしれないじゃん。」
といって、夜エサ箱をとりにいきました。(ドリーは外犬です)

それをみた母が、
「わざわざ夜中にやらなくたっていいでしょ。
 夜は寝てるんだから、明日でいいでしょ。」
と、私を叱りました。
疲れていたのでしょうか。

私はしぶしぶ家の中に戻りました。

母は、兄に連絡を入れました。(兄は一人暮らし中)
ドリーは元々、兄が飼いたいと言って飼いはじめた犬でした。
ゆえに家族で一番なついていたのは兄でした。

兄は、
「今すぐこっちに向かいたい」
と、母にメールをいれたようです。
私の兄といえば、性格がひねくれてて乱暴者で…。
だけどドリーにだけは唯一ずっと優しくて。

しかし母は、
「今来てもしょうがないよ。
 老衰で眠ったように死んじゃうんだから。」
と、かえしました。
その返答をする様子に、かける言葉がありませんでした。

翌朝、ドリーは旅立っていたのです。

後悔…しないわけがありません。
物心つき始めた頃から一緒にいた愛犬の、
もしかしたら食べられたかもしれない、
最期の食事を与えなかったのだから。

兄は後悔しなかったのだろうか。


苛立ちはゆっくりとこみ上げてきました。
だけど、それは何に?
父に?母に?
自分に?


父は何を思ったのか?
母は何を思ったのか?
兄は何を思ったのか?
そして私は何を思ったのか?

父や母と同じ歳になったらわかるようになるのだろうか。
13年間一緒に生活した愛犬に、その言葉を呟けるようになるのだろうか。

答えはきっと「no」


私はもうすぐ19歳で、一日ずつ着々と大人になっていく。
だけどこの日感じた、この感情は絶対に忘れたくないから記録を残します。





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